やさしい社会保障入門 その一 憲法と社会保障
健康で文化的な最低限度の生活
新人ケースワーカー・義経えみるが、生活保護受給者の“人生の困難”に寄り添い、右往左往しながら奮闘する「健康で文化的な最低限度の生活」(主演・吉岡里帆2018年7月~9月フジテレビ)を見た方はいるでしょうか。
この番組のタイトル「健康で文化的な最低限度の生活」は日本国憲法25条の条文ですね。この第25条には第1項で国民の「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」、つまり生存権の保障が明記され、その第2項で「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」と「社会保障」という言葉を初めて明記しました。
「社会保障」という言葉は、1946年11月公布の日本国憲法に用いられたことを契機に一般化したといわれています。しかし、当時はその「社会保障」の具体的な内容は「社会福祉」とどう違うのかも含めて明確ではではありませんでした。
日本で「社会保障」の内容を定義したのは「社会保障制度に関する勧告」(1950年)です。この勧告で社会保障制度は、病気、老齢、失業などによる生活困難に対し、社会保険や公的扶助などを通じて、すべての人に健康で文化的な生活を保障する「生活保障」の仕組みと定義されました。
その後、国や自治体が「生活保障」の仕組みとしての「社会保障」を担う法律を順次策定し、国民健康保険法(全部改正1958年)、国民年金法(1959年)が成立し、国民皆保険・皆年金という体制も確立したという日本の歴史があります。
公的扶助・社会保険・社会福祉・社会手当
新人ケースワーカー・義経えみるは、生活保護の現場で悩みたじろぎます。TV番組では高齢や貧困、借金、病気や母子家庭の様々な当事者が登場します。この番組に出てくるような当事者は現実の私たちの隣人です。この困窮する方々に給付されるのが生活保護費で、生活保護は税金を財源とする「公的扶助」と呼ばれています。
「公的扶助」は、日本では生活保護法で実施されていますので、生活保護と同義です。保険料などの支払いはなく公費(税)が財源です。「公的扶助」は生活困窮の状態にあるかどうかの資産調査が行われ、受給者が選別され不足する部分に保護費が支給されます。
社会保障制度は、個人の生活保障の違いに対応して、多くの国で「公的扶助」と「社会保険」を中心的なものとして発展してきました。「社会保険」は国民(被保険者)が拠出する保険料を主たる財源として、一定の基準に応じた給付がされます。日本には医療保険、年金保険、雇用保険、労災保険、介護保険などがあります。
社会保険は、強制加入が特徴で、国や自治体などの公的機関(または準じる機関)が保険者となる公共性の強い制度です。財源は、加入者の保険料が基本ですが、会社などの事業主による負担、国・自治体による公費(税)が投入されています。
また、この両者の中間的形態といえる「社会手当」があります。「社会手当」では、事前に保険料などの支払いがなくても、一定の要件であれば現金が給付される制度です。所得制限や年齢制限がある場合もあります。日本では、児童手当、児童扶養手当、特別児童扶養手当、特別障害者手当などがあります。社会手当の財源は公費(税)ですが、手当の一部を事業主の拠出金に負担を求める制度(児童手当)もあります。
そして、支援を必要とする人への個別的な対人サービスを提供する「社会福祉」があります。日本では、高齢者福祉、児童福祉、障害者福祉、母子福祉などが法律に基づき実施されています。そして、社会保障には「公衆衛生」も含まれます。(図を参照)
資本主義と福祉国家
最初は「なんだか難しそうだな」なんて思っていた人もいるでしょう。でも社会保障は、私たちに身近で大切な制度なんです。
みなさんは、映画の「万引き家族」をご覧になりましたか。この映画は、是枝裕和さんが監督(2018年6月に公開)した映画で、テーマは実際にあった親の死亡届を出さずに年金を不正に受給し続けていたある家族の事件をもとにしたそうです。
映画には、社会の底辺に暮らす疑似家族と絆、貧困、リストラ、家族の崩壊などが描かれ、第71回カンヌ国際映画祭において、最高賞であるパルム・ドールを獲得しました。
この映画は、現在の日本の社会の鏡のようにも見えます。失業や非正規化、低賃金労働の増大は国民の生活基盤を揺り動かし、貯蓄なし世帯、自己破産、ホームレスを増大させ、生活保護受給者を激増させています。社会保障は、このような不平等や格差が拡大する社会に絶対に必要な制度なんです。
ヨーロッパ諸国では、19世紀後半からの資本主義の進展のなかで、経済恐慌、大量失業、低賃金、貧困が生まれ、そして戦争が起き、その歴史の中で「社会保障」と呼ばれる法制度が発達してきました。そのルーツは、イギリス(救貧法・17世紀)やドイツ(ビスマルク社会保険立法・19世紀末)とされています。
その後、1930年代の大恐慌を経て、ILO(国際労働機関)の「社会保障への道」(1942年)では、社会保険と公的扶助の統合としての社会保障制度が構想され、第二次世界大戦の中で社会を統合、安定化する装置、戦費調達の手段として、国民全体を対象とした仕組みとして発展し、この仕組みが次第に「社会保障」と呼ばれるようになりました。
世界で最初に「社会保障」の名を付けた法律は、アメリカの「社会保障法」(1935年)です。「ベヴァリッジ報告」(イギリス・1942年)では、総合的な社会保障計画が構想されてもいます。そうした政策を基礎にして、西欧諸国では年金、医療などの社会保障制度を整備した「福祉国家」とよばれる国家体制も生まれてきました。
日本型の社会保障とその限界
社会保障制度は先進諸国でそれぞれの社会的な背景を持って確立してきたので、各国で制度がすべて共通ではありません。
但し、国連の世界人権宣言(1948年)では社会保障の権利が明記され、ILO「社会保障の最低基準に関する条約」(102号条約・1952年)では、社会保障の大まかな基準が設定されています。
日本も批准(1979年)した「国際人権A規約」では「この規約の締結国は、社会保険その他の社会保障についてのすべての者の権利を認める」と明確に規定しました。この規約は国際条約なので、日本の国内法に優越し、同条約に反する国内法は改変することが求められていますから、その意義は特に大きいものとなります。
最後に、日本の社会保障制度の現在の姿がどうなっているのかを考えます。
1979年、第二次オイルショックが起きた年に「日本型福祉社会」という言葉を政府が使い始めました。この時期は、日本の高度経済成長期が終わり、社会保障費の削減が開始されはじめた時期です。
この「日本型福祉社会」とは、日本の社会保障制度は独自だと国民に向かって強調したものです。端的に言えば西欧型の福祉国家を否定的にとらえ、家族や企業内福祉にその肩代わりをさせ、国家の責任を弱め財政支出を抑えるための政策でした。
この政策、つまり「日本型社会保障は、男性稼ぎ主の雇用への依存と家族主義を、とくにはっきりと純粋に実現したケース」(「生活保障」宮本太郎・岩波新書)と受け止められています。社会保障制度の確立よりも経済成長に直結する雇用保障があればいいだろうという政策です。そこでは安定した雇用と家族が社会保障の代わりになるのだというものです。
しかし、2000年以降の日本では、男性稼ぎ主の安定雇用が破壊され、代わりに非正規・派遣労働が拡大し、ワーキングプアが大量に生まれ、不安定な立場の人々が雇用保険、年金、健康保険からも排除(制度的・実質的)されてきました。これまでの「日本型」社会保障の仕組みの限界があらわとなり、目の前には大きな社会的亀裂が広がっているのです。 次回は、社会保障制度の具体的な制度である年金制度について考えます。